パリーグを変えた10月19日


やはり秋は読書か?衝動買いしてしまいました。

「1988年10・19の真実[近鉄−ロッテ]川崎球場が燃えた日」
(別に川崎球場が火事になった話しではないのでシクヨロシクヨロ)

不思議なチーム、それは「近鉄バッファローズ」。そして不思議な街「川崎」。ファンに愛され続け2004年に「近鉄バッファローズ」消滅。あれから、もう8年が過ぎた。

1988年10月19日ロッテとのダブルヘッダー。野球は「ドラマ」というけれど、この日はドラマ中のドラマ。いわば極致であろう。。。
この試合を知らずして「近鉄バッファローズ」は語れない。いや「野球」を語ることはできない。

本になってしまうほどの一日。どれほどすさまじい試合だったか。。。予想外の出来事。。。

他では全く考えられないが、ロッテオリオンズは川崎球場の全試合有効の無料チケットをバラまいていた。 それでも毎日ガラガラの川崎球場。しかしこの日ばかりは超、超、超満員。場外で観戦するお客さん。。。

「ニュースステーション」の枠だったのを急きょ川崎球場へと放送が切りかわり全国放送に。司会の久米宏に「川崎球場が凄いことになっています!!!」と言わせた10月19日。

この年の監督は(故)仰木彬。「グラウンドで倒れたら本望」と2005年まで肺ガンと闘いながら指揮した。2004年近鉄バッファローズが消滅するのを見届け1年後に亡くなった。今もグランドの後ろで野球を見ているだろう。

1988年、阿波野秀幸がいた。金村義明、巨人から移籍した淡口憲治がいた。ちなみにこの頃のイチローはまだ中学生。

身長166cmとう小柄ながら1kgを越えるバットをブン回していた大石大二郎もいた。

我がドラゴンズの2軍から移籍したブライアントが大化けし大活躍。

この年で引退した梨田昌孝捕手。10月19日、代打で立った梨田自身の野球人生最後の思いを込めた最終打席。初球をフルスイング。打球は値千金の勝ち越しセンター前タイムリーヒット。

内野手の吹石徳一もこの年で引退。めったに打たないのに10月19日には川崎球場のスタンドに一発をたたき込んだ。娘はなんと女優の「吹石一恵」この時はまだ五歳だった。

ストッパーは、後に海を渡りメジャーリーガーとなる吉井理人。
などなど。。。言葉では語りきれないほどの数々。。。

パリーグを変えた「10・19」
パリーグは永遠である

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